第8話 調略 あらすじ [真田丸]
第8話 調略 あらすじ
北条軍2万が碓氷峠を越え、信濃へ侵攻してきます。
また、三河の徳川家康(内野聖陽)が
甲斐を虎視眈々と狙って動き出します。
その頃、真田信繁(堺雅人)は父・昌幸(草刈正雄)の命に従い、
叔父の信尹(栗原英雄)に随伴して海津城を守る春日信達(前川泰之)
のもとへ向かいます。
目的は信達を上杉から北条へ寝返らせようというのです。
しかし、信繁は交渉に失敗します。
信繁は若い時にやりがちの相手の感情を無視した
理詰めの説得をし、信達の信頼を損ねてしまいます。
昌幸は信達の寝返りができないまま、
小諸城に入場した北条氏直(細田善彦)に臣従の挨拶に行きます。
昌幸は氏直に謁見すると、「春日信達を味方に引き入れた」
と嘘を言います。
これに対して氏直は「春日の力を借りなくても北条だけで
上杉を蹴散らせる」と怒り出します。
そこへ氏政(高嶋政伸)が入ってきて、
昌幸の調略を誉め、「兵を損なわずに勝つ」大事さ
を説きます。
昌幸はこの父子のやりとりで氏直が天邪鬼で、
扱うのは簡単だと思い込みます。
しかし、真田昌幸の北条への寝返りは早くも
上杉景勝(遠藤憲一)の知るところとなっていました。
信尹と信繁は呼び出され、
直江兼続(村上新悟)からの鋭い視線を浴びながら、
心ならずも自分たちだけは上杉に臣従すると嘘をつくのでした。
その後、信尹は信達のもとへ再び行き、
「北条はこの戦いで上杉に勝てば、海津城を正式に返す」
と言って、ついに寝返りを決意させます。
こうしたなか、千曲川を挟んで川中島で北条軍と上杉軍が対峙します。
北条では軍議の後、一人の漁師が連れられてきます。
漁師は佐助(藤井隆)の変装で、上杉が1万や2万の軍勢では聞かない
という嘘の情報を伝えます。
疑心暗鬼になった氏直に更に追い打ちをかけたのが
上杉の陣で信達が貼り付けにされているという見張りの報告でした。
氏直は怒りますが、昌幸は平然と
「3万の兵力で勝てる」と氏直を挑発します。
これを聞いた氏直は天邪鬼の性格を発揮して
兵を引くことを決めます。
また、上杉軍も北条軍が退去すると、家臣の反乱を鎮めるため、
撤兵します。
こうして昌幸の意図した信濃の国衆だけで一つの国を作る策略の
第一歩は成功しました。
しかし、この昌幸の策略に気づいて本多正信(近藤正臣)
と顔を見合わせていたのは誰あろう?
徳川家康でした。
家康が最も恐れた真田昌幸。
次はどんな策謀を巡らすのか、楽しみです^^
第7話 奪回 あらすじ [真田丸]
第7話 奪回 あらすじ
1582年(天正10年)6月18日、
神流川(かんながわ)の戦いで北条に敗れた滝川一益(段田安則)は、
箕輪城へ退却します。
真田昌幸(草刈正雄)は、この機に沼田城を奪還しますが、
人質としているはずのとり(草笛光子)が見つかりません。
そのため、沼田城を矢沢頼綱(綾田俊樹)に任せ、
信幸(大泉洋)に岩櫃城攻略を命じ、
自分は信繁(堺雅人)とともに箕輪城に向かいます。
夜、箕輪城に入った真田昌幸と真田信繁に
一益は沼田城ち岩櫃城を返そうと思っていると話します。
昌幸は沼田城奪回を一益に知られないうちに、
とりを奪い返すよう信繁に命じ、
真田の郷へ戻っていきます。
しかし、この直後、昌幸が沼田城を陥落させたという報告が
一益のもとへ伝えられます。
翌日、一益が小諸城に入城すると、
信繁は家臣のフリをして城中に入り、
とりときり(長澤まさみ)を見つけますが、
見つかって捕まってしまいます。
一益は、木曽義昌(石井愃一)の領地
を通り抜ける交換条件として、
義昌に信繁らの人質を引き渡します。
信繁ら人質は木曽福島城へ送られましたが、
とりを見た義昌は平身低頭します。
とりは真田幸隆(幸綱)の妻で、
義昌にとっては子供の頃から
目の上の瘤のような存在だったみたいです。
とりは「大恩ある武田を裏切りおって」
と言って義昌を平手打ちし、人質を返すようにと要求し、
真田信繁とキリだけが解放されます。
真田昌幸は上杉景勝に会い、色よい返事をもらいます。
しかし戻ると、信繁に真田信尹(栗原英雄)と共に、
現在、上杉家に味方している春日信達(前川泰之)を調略して、
北条家に寝返させろと命じます。
北条にも上杉にもつかず独立した大名になること
を決めた昌幸の策略の意図とは?
草刈正雄の演技が光るだけに楽しみです^^
第6話 迷走 あらすじ [真田丸]
第6話 迷走 あらすじ
真田丸 キャスト 山西惇 [真田丸]
真田丸 キャスト 山西惇
北条・豊臣・德川に仕えた外交僧として知られる
板部岡 江雪斎を演じるのが山西惇です。
山西さんといえば、ドラマ「相棒」の角田課長で
知られていますが、最近では京大卒という高学歴から
クイズ番組に出ることも多くなっています。
山西さんが北条家の縁の下の力持ち・板部岡江雪斎役に
選ばれたのも演技の他に、高学歴ということもあったかも
しれないですね^^
板部岡江雪斎のプロフィール
生誕 天文6年(1537年)
死没 慶長14年6月3日(1609年7月4日)
改名田中融成→板部岡融成→岡野融成
別名岡野嗣成、江雪斎
幕府江戸幕府
主君北条氏康→豊臣秀吉→徳川家康
氏族田中氏→板部岡氏→岡野氏
父母父:田中泰行
兄弟正木頼忠室(養珠院母)(異説あり)、江雪斎
子房恒、房次
山西惇のプロフィール
京都大学を卒業した秀才ですが、大学1回生の時、
芝居に興味を持ち、劇団そとばこまちに入ります。
2回制の時単位を1つ落とし、就活も受けたマスコミ関係の会社全てに
落ちたそうです。
1年目は仕事を覚えるために勉強の日々だったそうです。
一緒に芝居をしたいという気持が強くなり、
退社後や休日に劇団に行っていた、ということです。
役者1本で生きていく決心をしたそうです。
日々の糧も満足に得られない役者への決意。
どう演じられるか、楽しみですね^^
真田丸 キャスト 栗原英雄 [真田丸]
真田丸 キャスト 栗原英雄
真田昌幸の弟・信尹(のぶただ)を演じているのが
栗原英雄です。
真田信尹のプロフィール
真田信尹は兄の昌幸とともに幼少期から人質として武田信玄に仕え、
信玄の命令で甲斐の旧族・加津野家の養子となります。
元亀2年(1571年)1月、武田信玄は北条綱成の守る駿河深沢城を陥落
させます。このとき、信尹は綱成の「黄八幡」の旗指物を奪い取る
軍功をあげたと伝えられています。
武田氏滅亡後は真田姓に戻り、諡(おくりな)を「信尹」と改めます。
北条家、その後徳川家に仕え、小田原征伐で武蔵江戸城の無血開城に
功があったので5000石川1万国に加増されますが、信尹はこれに不満を持ち、
浪人したと言われています。
昌幸や信繁をはじめ、松代藩真田家の信之が石田三成の手紙を一生持っていた<sup>※</sup>のと同様、
どうも真田家には反骨精神の旺盛なDNAが流れているようです。
※ 信之の母・山手殿(寒松殿)と石田三成の正室・皎月院は宇多頼忠の女(むすめ)で、
姉妹です。つまり、三成と信之は叔父と甥の関係に当たります。
親戚を大事にする信之ですから、敵味方に別れたとしても、昌幸や信繁に対する情愛を
三成にも抱いていたことをこの手紙からうかがうことができます。
このような家族愛は信尹も同じに持っていました。
德川の家臣でありながら、武田氏滅亡後も昌幸のもとへ情報を送り続け、
真田本家の存続に骨身を惜しまなかったと言われています。
肉親や兄弟、子供をないがしろにする現代の風潮は、
GHQよる家族制解体の結果ですが、核家族と高齢化社会
の急速な進行のなかで、「真田丸」は家族や親戚とのあり方を
一面ではわれわれに問うている歴史ドラマのようにも思えます。
栗原英雄のプロフィール
そんな信尹を演じる栗原英雄は、知名度が低いので
知っている人は少ないのではないでしょうか?
そこで、栗原英雄について見ていきたいと思います。
生年月日:1965年7月4日生まれ(50歳)
出生地:栃木県
身長:174cm
体重:63kg
サイズ:91 - 76 - 90 cm
職業:俳優
ジャンル:舞台、映画
活動期間:1984年 -
栗原英雄は1984年、18歳のとき、劇団四季に入団します。
2009年、43歳で退団するまで25年間、舞台一筋という俳優さんです。
そのため、「真田丸」までテレビドラマの出演経験は全くない、
ということです。
そんな栗原さんが真田信尹役に抜擢されたのは
どうしてなのでしょう?
三谷幸喜の推薦だそうです。
恐らくは三谷さんが栗原さんの舞台を見て、
自分がイメージする信尹役に当てはまったんだと思います。
栗原さんの歌とダンス、
聞きやすくよくとおる声、
それに舞台でのベテランならではの
しっかりと計算された演技。
三谷さんでなくても使いたい俳優さんですね。
真田信繁の首実検をしたのは信尹
という史実から考察すると、
家族愛のあふれる信尹が甥の信繁の首を見たとき、
栗原さんがどう表現するか、興味津々です。
最終回がそこまで放送するか、
といえば、三谷作品なので
可能性は低そうですね(^-^;)
真田丸 キャスト 迫田孝也 [真田丸]
父の頼綱とともに真田家の蔭の支柱として知られる矢沢頼幸(頼康)
を演じているのが迫田孝也(さこだ・たかや)です。
矢沢頼幸(頼康)のプロフィール
矢沢頼幸(頼康)は、信繁の祖父・幸隆の弟・矢沢頼綱の嫡男です。
頼綱は、昌幸の代に筆頭家老として真田家を支えた一門衆のトップです。
頼幸(頼康)は天正13年(1585年)、
信繁が上杉景勝の元へ人質に出される際
には、警護として同行しています。
同年の第1次上田合戦では、上杉景勝からの援軍と共に
支城の矢沢城に篭って依田勢1500を退け、追撃戦では大久保忠世らを散々に
蹴散らす活躍を見せたと伝えられています。
関ヶ原の戦い後には当主となった真田信之に仕え、
大坂の役では信之の代わりに出陣した子(信政、信吉)らを補佐しました。
出陣にあたって、信之は頼康に「何事も油断なく、間に入って頼み入り候」
と書き送っていることから、信之がいかに信頼していたかがわかります。
寛永3年(1626年)、65歳で死去。
頼康に子はなかったため、遺言により弟の頼邦が跡を継ぎ、
その後子孫は代々松代藩の無役席(家老職より上の別格扱い)
という真田家第一の重臣として松代藩を支えました。
迫田孝也のプロフィール
そんな頼幸(頼康)を演じる迫田孝也は、知名度が低いので
知っている人は少ないのではないでしょうか?
そこで、迫田孝也について見ていきたいと思います。
生年月日:1977年4月6日(38歳)
出生地:鹿児島県
血液型:A型
身長:171 cm
体重:67kg
職業:俳優
ジャンル:舞台、映画、TVドラマ
最終学歴:広島大学教育学部卒
特技:バレーボール・水泳・器械体操
資格:普通自動車免許(AT限定)、中学・高校 保健体育教員2級普通免許
迫田孝也はSTRAYDOGプロモーションに約8年間在籍し、
舞台をはじめ 数々のドラマや映画に出演しているベテラン俳優です。
2006年の映画オーディションで 三谷幸喜氏と出会い、
その後数々の三谷作品に出演している
いわば三谷組のメンバーの一人です。
なので、三谷幸喜が迫田孝也を矢沢頼幸(頼康)役に抜擢したのは
迫田の俳優としての特性が三谷の抱く頼幸(頼康)像に合致していた
ことになります。
ということは、三谷の抱く頼幸(頼康)像がどのようなものか?
その観点から『真田丸』を観賞しみるのも面白いかもしれませんね。
ネットを検索すると、「迫田 嫁」というキーワードが出てきます。
迫田さんは結婚しているのでしょうか?
もししておられるなら、奥さまはどんな人なのでしょうか?
お子さんはいないのでしょうか?
調べてみました。
同期の多々良光洋という俳優のブログ「となりのトトロ」
によれば、モデルさんと結婚されているようですが、
お子さんがいるかどうかはわかりませんでした。
データが少なすぎで
迫田さんの知名度が上がってくれば、
もう少しプライバシーもわかると思いますので、
それまで待つよりないかもですね^^
真田丸 キャスト 細田善彦 [真田丸]
真田丸 キャスト 細田善彦
後北条氏の関東支配を終わらせた北条氏直を
演じるのが細田善彦です。
北条氏直は永禄5年(1562年)に生まれます。
父は4代・氏政、母は武田信玄の女〈むすめ)・黄梅院で、
武田信玄は祖父、武田義信は伯父、武田勝頼は叔父に当たります。
天正8年(1580年)、18歳のとき、氏政が隠居して
北条家の第5代当主となりますが、
実権は氏政が握っていました。
氏直が実権を握るのは、天文16年(1588年)の豊臣秀吉との交渉からですが、
真田昌幸の支城・名胡桃城の奪取事件が私戦を禁じた惣無事令違反とされ、
秀吉の小田原征伐を招きます。
この奪取事件は、氏直の知らないところで行われたようで、
氏直は知ると真田昌幸に名胡桃城を返していました。
ところがこの弁明は、秀吉のところへは届かなかったようです。
結局、氏直は3ヶ月の籠城の後、秀吉に降伏します。
秀吉に出した条件は、氏直が切腹する代わりに将兵の助命を乞うものでした.
太平洋戦争に負けて昭和天皇がマッカーサーに懇願したことと
まったく同じですね。
責任を取らない政治家や官僚、企業トップが多いなか、
随分違います。
秀吉も氏直の心意気に感銘し、家康の婿であることもあって
高野山へ配流されました。
しかし、その後赦免されて河内狭山藩で1万石を与えられ、大名となっています。
北条本家が領した狭山藩は幕末まで続いていきます。
天正19年〈1591年)大坂で死去。享年30歳。
『真田丸』では、氏直は真田昌幸から天邪鬼〈あまのじゃく)な性格と
見られています。
しかし、『北条記』には、「判断力に秀でているが、
虚弱な体質であったため、みずから裁決せず、
人まかせにする過ちを犯したことが家を失う結果
となった」と記されています。
秀吉に「自分の命と引き換えに将兵の助命を請うた」
という誠実さと判断力の素晴らしさに
世間で思われている氏直のイメージとは異なります。
再検証する必要がありそうですね。
細田善彦のプロフィール
北条氏直を演じる細田善彦は、知名度が低いので
知っている人は少ないのではないでしょうか?
そこで、細田善彦について見ていきたいと思います。
生年月日:1988年3月4日(27歳)
出生地:東京都
血液型:O型
身長:182 cm
体重:70kg
職業:俳優
趣味:映画鑑賞、ご当地のTシャツ
特技:サッカー、水泳
ジャンル:映画、テレビドラマ
活動期間:2004年 -
事務所:アルファエージェンシー
公式サイト:細田善彦
主な作品:
テレビドラマ
『ライフ』
『あんどーなつ』
映画
『クリアネス』
『デトロイト・メタル・シティ
細田善彦はかなりの長身で、
見た感じはイケメンで
おっとりしていて優しそうですね。
それもそのはず。
実家がスゴイんです。
ナント老舗の大手和菓子屋である榮太樓總本鋪の次男坊だそうで、
ネットでは御曹司とも呼ばれている、ということです。
学歴も、幼稚園から慶應義塾一筋で、商学部を卒業しています。
エスカレートとはいえ、文学部や教育学部ではなく、商学部だから
慶応の高校生の中では勉強ができたんですね。
そんな頭の良さが演技にも生きているようです。
2007年の映画『クリアネス』では、出張ホストの美少年レオを演じ、
サクラとの純愛を紡ぎました。
しかし、同じ2007年にテレビで放送された『ライフ』では、
難しい佐古克己役を演じました。
性格が異常でキモイ克己役をうまく表現していました。
・人気がまだ出ていない。
・彼女がいない。
・実家はセレブ
この3つで「買い」ですね。
今のうちに応援していきましょう。
そんな細田善彦が『真田丸』で北条氏直を演じます。
細田がどういう氏直像を描くのか楽しみですね^^
真田丸 キャスト 玉置玲央 [真田丸]
真田丸 キャスト 玉置玲央
織田信長の嫡男・信忠を演じているのが玉置玲央です。
織田信忠のプロフィール
織田信忠は信長存命中から家督を譲られ、
尾張・美濃の支配を一任されていました。
また、長篠の戦い以後は信長に代わって総大将となり、
信長の後継者として武才を発揮しています。
本能寺の変が起こった時、近くの妙覚寺にいた信忠は
本能寺に救援に向かいますが、信長自害の知らせを受けると
二条城に籠城し、多勢に無勢で自害しました。享年29才。
ここで疑問に思うのが
「信忠はなぜ逃げて再起をはからなかったか?」です。
『当代記』当代記)という書物には、
側近が再起を勧めたが、信忠は「光秀ほどの者が洛中の出入り口に
手をまわしていないはずがない」と答えたそうです。
このとき、信忠が家康のように逃げて
大坂の織田信孝や丹羽長秀のところへ辿り着ければ、
兵力を再編集して光秀を討ち、織田家は存続していたことは
ほぼ間違いないでしょう。
よく知られていることに、家康の嫡男・信康の謀反容疑による切腹と
結びつけて、信忠を暗愚とする説があります。
しかし、武将としての信忠を見る限り、信長の後継者としての資質は
充分あるようで、信忠という人物の評価は再検討されるべきように
思います。
玉置玲央のプロフィール
そんな信忠を演じる玉置玲央は、知名度が低いので
知っている人は少ないのではないでしょうか?
そこで、玉置玲央について見ていきたいと思います。
生年月日:1985年3月22日(30歳)
出生地:東京都
血液型:A型
身長:171 cm
職業:俳優、演出家
ジャンル:舞台、TVドラマ
活動期間:2005年 -
所属劇団:柿喰う客
事務所:ゴーチ・ブラザーズ
玉置玲央は私立関東国際高校演劇科を2003年に卒業し、
2005年に劇団・柿喰う客に参加します。
翌2006年以後は柿喰う客のほぼすべての公園に出演し、
2007年からは全ての公演の原案・演出を行っています。
運動神経抜群で、特技はバック転や宙返り。
「ルイジンエンの如き身体能力」と評され、
舞台では声が響くことで知られています。
酒は一滴も飲まず、コーラとタバコをこよなく愛する
真面目で才能のある俳優さんらしいです。
テレビでは、NHKの朝のテレビ小説「花子とアン」で
白蓮の夫・宮本龍一の友人・田中役を演じています。
玉置玲央が黒木華と熱愛中?
2人の熱愛が「フライデー」に掲載されたのは
昨年の2月でした。
内容は、新宿で上演されていた
舞台が終わったあと、
玉置と黒木が並んで歩きながら
一緒に地下鉄に乗り込んだ、
というものです。
これで「熱愛」というのは
根拠に乏しいですね(苦笑
仮にこの他でも一緒にいるところを
見られたとしても、「熱愛」とは
言えないでしょう。
友達として会うということも
あり得ます。
面白おかしく掲載して売れれば良いという
いうのであれば、問題があるように思います。
真田丸 キャスト 山本耕史 [真田丸]
石田三成役のトップは?
関ヶ原(DVD) |