第1話 船出 あらまし  [真田丸]

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■第1話 船出■

 

 「真田丸」は、武田家滅亡の話から始まります。

天正10(1582)年1月、武田家では信玄(林邦史朗)の娘・真理姫を

正室にしていた重臣の木曽義昌(石井愃一)が織田信長に寝返ります。

 

ついで2月25日には、親族筆頭の穴山梅雪(榎木孝明)が

人質となっていた家族を密かに逃がして徳川家康(内田聖陽)に内通し、

徳川勢の甲斐侵入を手助けします。

 

重臣の相次ぐ裏切りをきっかけに

織田信長(吉田鋼太郎)の大軍勢が領内に侵攻し、

諸城が次々に陥落していきます。

 

武田家に仕える真田昌幸(草刈正雄)は

上野国(群馬県)にある自らの居城・岩櫃城で

織田を迎え撃つことを武田勝頼(平岳大)に進言し、

準備のため一足先に出発します。

 

岩櫃城は、岩櫃山の北東に伸びる尾根に築かれた城で、

西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で

天然の要害となっています。

 

尾根の西から本丸・二ノ丸・中城などが続き、

北東に出丸の「天狗丸」があり、

その更に北東には支城・柳沢城(観音山城)が位置しています。

そのため、岩櫃城は戦国時代、武田の三堅城の1つに数えられ、

真田家と真田忍びの拠点となった上信越の要害として知られています。

 

岩櫃城のウィークポイントは北側の平沢地区ですが、

この地区へ行くには沢沿いの狭い一本道しかなく、

柳沢城(観音山城)と岩櫃城の出城・天狗岩

に挟撃されることになります。

 

まさに大軍を少兵でも誘い込んで殲滅させることのできる

地形となっています。

昌幸が勝頼に進言したのも頷けますね。

 

しかし、残された昌幸の息子、

信幸(大泉洋)・信繁(堺正人)兄弟のもとへ

人目を忍んで訪れた勝頼は「岩櫃には行かない」

と告げます。

 

兄弟は小山田信茂(温水洋一)の岩殿城へ逃げる武田の本隊と別れ、

父の待つ岩櫃に向かうことを決心します。

敵軍が目前に迫るなか、兄弟の、家族を守りながらの決死行が始まります。

 

一方、岩殿城を目指す武田勝頼は、

その途中、高島城の落城と言う知らせが届いたりする度に、

家臣の離反が相次ぎ、600名いた供はいつしか100名程度

になってしまいます。

 

先に岩殿城に赴いて準備をすると言った

小山田信茂も武田勝頼を裏切り、笹子峠を封鎖します。

 

勝頼はどこへ落ちのびるのでしょうか? 

 

 

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